STORY
逢坂 浩司――その人と作品
転機は『ガンダム0083』
1991年のOVA『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』で、ガンダム作品に初参加。南氏がアシスタントプロデューサーをつとめるこの作品では、川元利浩氏(後のボンズ取締役)とほぼ1話おきに作画監督を担当し、同作の高い作画クオリティを支えた。メカニカル・ディレクターの佐野浩敏氏も交えた本作の制作現場は、同世代同士が技を競い合うようなまさに戦場のような熱気だった。後に南氏が1998年のボンズを設立するとき、川元氏とともに取締役に就任することとなるルーツは、ここにある。
初のキャラクターデザイン、Vガンダム
1993年、富野由悠季監督がひさびさに手がけたTVシリーズ『機動戦士Vガンダム』で、逢坂氏は初のキャラクターデザインを担当する。この作品は、線を少なくカゲをつけないようにして、フォルム重視のアニメートをする前提で進められたため、その中で表現できる方法論を監督と煮詰めていったという。その絵柄は非常に上品でかつ身近に感じられる暖かみのあるもので、非常に好評をもって受け入れられた。作品自体は善悪とは無関係に戦争の中で惨事へ突入せざるを得ない「ふつうの人びと」の苦しみと狂気が描かれているが、それは逢坂氏の絵柄が逆説的に伝えたものであると言える。
幅の広いアニメーションセンス
1994年、今川康宏監督のTVシリーズ『機動武闘伝Gガンダム』で逢坂氏は熱血武闘派のキャラクターデザインを行い、一転して無骨で荒々しい絵柄を提示して観客をあっと言わせる。本来アニメーターは作品の要求に応えてどんな絵柄でも提供できるスキルを持つべきだが、その才能の幅広さを提示した作品であった。『天空のエスカフローネ』('96/赤根和樹監督)ではアニメーションディレクターを担当し、優美なファンタジーキャラと健康的な女子高生を活写。作画監督をつとめた『カウボーイビバップ』('98/渡辺信一郎監督)ではワイルドで生活感あふれるアウトローを描くなど、まさにオールレンジの才能を発揮した。
子ども向けアニメへのこだわり
『機動戦士Vガンダム』には12歳の主人公ウッソをはじめとして、子どもキャラクターが多数登場する。ちょうど逢坂氏は自身が子育てをしている最中で、5歳と3歳ごろの多面的な特徴をとりだしてキャラ作りをしたため、子どもキャラには特別な思い入れをもっていたという。そうした「子ども好き」の特質がもっとも良く出たのが、闊達な子どもたちが幕末を駆け抜ける作品『機巧奇傳ヒヲウ戦記』('00/アミノテツロー監督)だ。丸みを帯びてのびのびと動き、まっすぐな視線で未来を見つめる子どもたちのキャラクターデザインは、アニメーションが本来そなえている自由さを体現している。逢坂氏は生前折りに触れて「子ども向けのアニメーションを」と語っていたというが、その思いの結晶をみることができる。
ボンズ取締役時代の活躍
2000年にボンズが本格稼働して以後は、川元利浩氏とともに「アニメーターが取締役をつとめる会社」としての性格を出すべく、作品のクオリティアップに多面的かつ精力的に活動を続けている。劇場アニメ『ESCAFLOWNE』('00)、TVアニメ『機動天使エンジェリックレイヤー』('01)、劇場アニメ『カウボーイビバップ 天国の扉』('01)、TVアニメ『ラーゼフォン』('02)、TVアニメ『WOLF'S RAIN』('03)、『劇場版鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』('03)、TVアニメ『桜蘭高校ホスト部』('06)など、数々の作品で作画監督として原画やレイアウトを修正、品質の底上げを行った。単純に作業をこなすだけでなく、スタジオに常駐して後進の面倒をまめに見て育て、いつもにこやかなムードメーカーとしても、ボンズの人肌の感じられる作品づくりに大きく貢献していたという。
新時代の美形キャラクター
その作品群の中でもキャラクターデザインとアニメーションディレクターを担当したTVアニメ『絢爛舞踏祭 ザ・マーズ・デイブレイク』('04)やキャラクターデザインと総作画監督を担当したTVアニメ『獣王星』('06)などの作品では、シャープで繊細な美しさと色気を備えた人物描写を行い、新たな時代の美形キャラとして女性ファン多数を獲得。特に逢坂氏の描く雑誌・パッケージ用版権イラストは一段と濃密で、フィルムの枠組みを超えた彩りを作品に沿えていった。
あまりに若すぎる急逝……
アニメーターとしての遺作となったのは、TVアニメ『天保異聞 妖奇士』('06)。本作には同じ原作・脚本の會川昇氏の采配で『ヒヲウ戦記』の父親キャラ・マスラヲの若いころの姿がゲストで登場する。川元利浩氏がメインキャラクターのデザインを担当した作品だが、マスラヲは逢坂氏がデザイン。父・子という関係にこだわった逢坂氏らしい逸話である。
同作のTVオンエアが終了した2007年3月以後、体調を崩した逢坂氏は大阪に戻り、病気療養に専念。9月24日、病気のため逝去の報が伝えられる……。享年44歳。あまりに早すぎる死は各界に大きな衝撃を与えた。 残された作品群から在りし日を偲びつつ、その才能の大きさ、幅広さ、そして絵柄からにじみ出る暖かな人柄に、改めて思いをよせていただければ幸いです。